中村モータース(板橋)の思い出
板橋区のときわ台(正確には東山町)に、中村モータースというバイク屋があった。
1967年に創業しこの地で50年弱、2015年に閉業するまで、店主が様々なオートバイの面倒を見てきた。
川越街道には、そんな小さなバイク屋が多い。
いや、多かった。
僕の実家の近くだけでも、この中村モータースをはじめ、モトボックスSEKI、ソックス、オートショップホサカ、バイクショップNABEなどの店が軒を連ねていた。
今なお活躍しているバイク屋も多いが、上板橋のモトボックスSEKIとオートショップホサカは閉業した。
ぼくが免許を取り立ての頃だから、今からくらい20年ほど前になる。
モトボックスSEKIにはシルバーに赤いラインの入ったZ400FXがあって、ゼファー400に乗っていた僕は密かに憧れていた。
オートショップホサカの2階はショーウィンドになっていて、ずいぶん長いことZ1(Z2か?)が鎮座していた。
そして1階にあったW1やマッハ、川越街道から眺めていたあのマシンたちは、どこにいったんだろう。
バイクショップNABEはカワサキプラザ板橋として豪華な店に生まれ変わった。
ワタナベ社長とは少なからず付き合いがあり、今でも極たまにW1の面倒を見てもらう。
余談だが伝説的店主が営むタイヤショップウルフも川越街道沿いにある。
さて、中村モータースが最後に売ったバイク、それが僕の乗っているW1SAだったりする。
「これがウチの店で出す最後のバイクになったよ」
W1SAの納車点検をしながら店主は言った。
歳は75を超え、その表情は穏やかだった。
幼い頃からこの中村モータースには家族ぐるみでお世話になっていた。
父や弟が原付を何台か買ったり、僕も純正部品の取り寄せを頼んだりしていた。
その昔、私の父が営む飲食店でアルバイトをしていたニイチャンもその1人で、CL72やスティード、ゼファー400、SR400なんかをこの中村モータースで買っていた。
もう30年ほど前の話だ。
ありし日の中村モータース、その店内の様子を思い浮かべると、印象的な3台が思い出される。
その3台ともヘッドライトに「売約済」の札が下げられていた。
つまり、売り物ではない特別なマシンたち。
1台目はCB1100R。カウルの形状から、おそらくRDだったように記憶しているが曖昧だ。
とてつもなくコンディションが良かった。
2台目はCB400Four。赤いタンクのフルノーマル。
3台目はCB750Four(K0)。キャンディーレッドのタンク。いつだったか、店主から砂型であると教えてもらった。
そう、中村モータースのオヤジさんは根っからのホンダ党CB派だったのだ(本人から聞いたわけではないけれど。)。
閉業を決めてから、店主はこの3台を手放した。
後で店主から聞いた話だが、どれも目玉が飛び出るほど安価で売ったとのこと。
「このナナハンを売ってくれ」
「これは売り物じゃない」
秘蔵っ子のマシンたちは、こんなやりとりを根気よく、ずっとずっと続けていたような人たちの手に渡ったようだ。
さらに昔のことを思い出す。
今から25年ほど前、中村モータースにはショールームがあった。
本店からわずか数十メートルしか離れていない場所に、ピカピカのマシンたちが並んでいた。
覚えているのはGSX1100SやGPZ900R、CBR900RRなんかの大型車があったように記憶している。
このショールームは僕の小学校のすぐそばにあったから、下校の際に立ち寄った。
ランドセルを背負った子供が来ようと特に何も言われない。
どころか店の人は誰もいなかったように思う。今なら考えられないほど、世紀末のあの当時は平和だったのだ。
何もよく分からない小学生にとって、大型バイクたちは自分とは関係のない、どこか別の世界の存在のようだった。
だから「おとうさんの乗っているのと同じバイク(W1や900MHR)は無いかな?」みたいな理由で店を覗いてた気がする。
そんな風にしていつしか僕も社会人になった。
中村モータースのショールームも無くなり、跡地はコンビニになている。
店主はもとからあった店舗兼工場のみで営業するというスタイルに戻った。
2010年代ともなるとメカニックたちも他所へ移ったのか、70代の店主1人で経営していた。
僕といえばW1乗りだった父の影響をもろに受けて、2気筒のクラシックマシンに乗りたいと考えていた。
ただ一方で、乗り始めてすぐに壊れるようでは困ってしまうから、信頼できる中村モータースから買おうと思った。
父からはW1の「音」「振動」「故障」この3つの思い出話を何度も何度も何度も聞かされていた。
そして僕が24歳の時、中村モータースの店主に「W1がほしい。SAかW3(右チェンジ)予算は◯◯万円くらいで!」と伝えた。
「何しろ古いからねぇ、見つかるまで時間かかるかもよ」と言われた。
僕と店主、2人の店内で古いパソコンの画面を覗き込む。
ディスプレイには業者オークションの映像が映っている。
「この数字は◯◯という意味で」「ここに書かれてるこれは△△という意味だから」といった感じで、2人でタバコをふかしながら緩い時間を過ごした。
また、古いアルバムを広げて見せてくれたのは、お店のお客さんたちと行った数々のツーリング写真だった。
マシンに跨り、嬉しそうに微笑む若い頃のオヤジさんの姿もあった。
僕にとって、この時間は意外なものだった。
というのもこのオヤジさんは口数が少なく、まさに職人といった人物だからだ。
なので、一見するといつも機嫌が悪く愛想が無いようにも見えるのだけれど、実はとても優しい人なんだとこの時知った。
そして、頼んでから数週間後に店主から電話が掛かってきた「ダブルワン見つけたよ」と。
仕事中に掛かってきたその電話に、ワクワクが止まらなかった。
「ありがとうございます!それで、いくらですか?」
そう聞くと「◯◯万円くらいだね」と、2割ほど予算を超える金額だった。
「ちょっとだけ考えさせてください!」
そう伝えるも「いや、実はその、もう買ってきちゃった」と返ってくる。
驚いたが、その時は嬉しさが勝ってしまって、予算なんてものは瑣末なことに思えた。
すごい貧乏だったけれど。
その週末、すぐに中村モータースへと赴いてW1と対面した。
橙と黒に塗り分けられたてんとう虫のようなガス・タンクに、左右で全く表情の異なるエンジン。
勇ましい曲線を描くエキゾーストパイプ。もう一瞬で虜だった。
「簡単に整備し始めたんだけど、ここまで程度の良いダブルワンはなかなかないよ。だから予算はみ出たけど買ってきちゃった」と、オヤジさんははにかんだ。
予算から15万円程オーバーしており、手取り15万円だった当時の僕にとっては痛い出費だった。
けれどオヤジさんは「壊れてきたの買ってきて、大きく直すほうがお金も時間も掛かる」と言って、僕も納得した。
納車の整備は時間の許す限り僕も付き合った。
「そっち持って」
「こっち押さえてて」
「エンジン掛けて」
オヤジさんは70代で、キックスタートもなかなか難儀するようだった。
けれどマシンの取り回しなんかは見事で、200kgを超える単車をヒラヒラと動かす。
老眼鏡をつけたり外したりしながら、慎重に整備を進めていく。
キャブレターのスクリューを小刻みに回しながらエンジンの音に耳を傾けるその姿は職人そのものだった。
かくして僕の元へW1SAがやってきた。
改めて「自分のダブワン」に跨って、エンジンを掛ける。
SR400の「カチッ」とした感覚とは程遠い、「ぬるっ」としたキックペダルの感触。
2気筒OHVのエンジンが豪快な音をたてる。
操作のあれこれも乗った感触も、自分が今まで乗ってきたどのマシンよりも粗暴な印象を受けた。
そして同時に、しっかり乗らなければ乗れないことも分かった。
これは、ダブワンに対して「こうしてほしい」としっかり伝える行為でもあった。
まさに、耳の遠い爺にデカい声で話しかけたりするアレと同じ。
「段差があるよ!右足上げて!」みたいな感じで、確実に伝えなければならない。
それもまた乙かもしれないなと、思っていた、
そしてその後、中村モータースのシャッターには閉業を知らせる張り紙がされた。
そこには、体力や年齢的な理由と、この地で長く営業を続けられたことへの感謝が記されていた。
店仕舞いをした後も、数ヶ月ほどは僕のW1SAの面倒を見てくれた。
中村のオヤジさん、元気にしているだろうか。