通勤中に見たエストレヤ

僕が仕事に通う道に、カワサキのエストレヤがある。

六本木駅から少しだけ離れ、細い路地に面したマンションの駐輪場に、そいつは置かれていた。

毎朝のようにそのエストレヤを横目に見て、通勤していたのだ。

フロントがドラムブレーキだから、「カスタム」というモデルなのだろうか。

詳しくないから年式や型式までは分からない。

カバーも掛けられていないし、タイヤの空気も抜けている。乗られている気配もない。

だかは、強い日差しに照らされ、時に雪が積もり、大雨だって、全て遠慮なくその小さな車体にぶつかっているはずだ。

いつぐらいからそこでそうしているのか僕は想像する。

ホイールとフロントフォークのアウターチューブは、粉が吹いたように白く錆びているし、タンクのクリアーは飛んでいた。

それにタイヤの下、地面は薄く苔が生えて緑色。

少なくとも数年は放置されているんだろう。

僕はエストレヤの前を通り過ぎ、その先の信号で立ち止まるような時、持ち主について考えてみる。


「バイクっていいかも」と、ある日ふと思った。

それは友達がSNSに上げていた「エモい」写真の影響だったか、最近おぼえた「カフェレーサー」というようなジャンルのバイクが走っているところを見た時だったか。

東京の割と大きな企業に就職し、3年が経っていた。

しかし収入に満足できず、条件の良いベンチャー企業に転職した。

それと同じ頃、六本木のこのマンションに越してきた。

そんなタイミングだった。

「バイクに乗ろう」と思いつく。

そう、本当にそんな思いつきだったのだ。

転職に伴い、有給休暇を消化するためまとまった休みが取れることも決まっていた。

だから彼は教習所に入校し、普通自動二輪免許することにした。

大型自動二輪免許を取らなかった理由は「必要なさそう」だと考えたから。

なんとなく大型バイクは趣味性が高すぎるしオタクっぽいと思っていた。

AT限定だけど免許は持っていたので、学科教習が免除されるということも背中を押した。

教習所は楽しくなかった。自分があと10歳若くて、16歳だったら興奮したかもしれないけれど、ダサいゼッケンを着て、他人の臭いのするヘルメットを被り、なんだか真剣にやっているのが少しバカバカしくも感じた。

それでも通った。別になん何の予定もないのだ。

教習プログラムが二段階に差し掛かかり、そろそろ場内のコースを暗記しなければならないようになった頃、「もうバイクを買わなきゃいけない」と思った。

理由は簡単で、これではモチベーションが続かないと感じたからだ。

先にバイクを買ってしまえば、そのために頑張れそうな気がした。

「バイク 中古」と検索して出てきたバイク屋に行ったり、フリマアプリを眺めたりして過ごした。

スマートフォンで情報を漁っていると、なんとなく欲しいと思っていたSRというバイクがヤマハ製だと知った。

そして、SRは車検があるため維持費がかかるということが分かった。

「SR 似てるバイク」と検索して見つけたのがエストレヤだった。

カワサキというメーカーはよく知らなかったけど、「男カワサキ」なんて呼ばれているらしくて気に入った。言ってみたいと思った。

それに250ccだから車検もなく維持費が安いという魅力があった。

コスパがいいと判断した。

中古車情報サイトを見て、中古のエストレヤが置いてあるというバイク屋に行く。

店員に話しかけ、エストレヤが見たいことと、SRとの違いについて聞いた。

するとSRにはキックという方法でしかエンジンが始動できないらしい。

店員いわく、このキックがスムーズにできるとかっこいいという。

そんな店員の話が長くなり、SRの実車を目の前に説明を受ける中でなんだか面倒くさくなってしまった。

その後、エストレヤを出してもらった。

ネットで見ていた写真よりも、エストレヤは小さく見えた。

「状態を見てください。なかなか良いでしょう?」

そう言われたが、何をどう見れば良いのか分からない。

とりあえずタンクにキズやへこみがないことが分かったので、状態が良いと判断した。

エストレヤについて説明を受けるが、値段以外に分かることがない。

走行距離も年式も、どれくらいからダメなのかを知らないのだ。

ただ、店員いわくこれはお買い得だという。

また、今日この後もう1人このエストレヤを見に来る予約が入っていて、その人が買うと思うとのこと。

目の前にあるバイクを、今買うと決断しなければ手に入らないと知った。

だから購入することにしたのだった。

その後、自動二輪免許が手に入るのとほぼ同じタイミングでエストレヤが納車された。

事前に通販サイトで買っておいたダックテールの半キャップはサイズがブカブカだったけど、仕方なくそれを被った。

店員から教わった通り、鍵を刺して回す。

そしてハンドルについている「電源ボタン」を押すとエンジンが「ついた」。

走り出すまでに何度もエンストし、信号待ちと発進でまたエンスト。

歩行者や車からの視点が気持ち悪く、走り出してからエンジンを覗き込むようなことをしてみた。

疲れた。正直、何が楽しいのか分からない。

東京の道には詳しくない。だからしょっちゅう止まってはアプリで地図を確認する。

横浜方面に走っていたつもりで、五反田のあたりをぐるぐる回っているようだった。

地図アプリを開く。7〜8回だっただろうか、もう自宅への道を検索していた。

その翌日は次に入社する会社の雇用関連書類をよういしているだけで1日が終わった。

そして、そのまま数日後、明日から新しい職場での仕事がスタートするというタイミング。

エストレヤにもう一度乗ってみることにした。時刻は午後9時、ラーメンでも食べに行こうと思った。

走り出し、見慣れたエリアを抜け、走って15分くらいのラーメン屋に着いた。

エストレヤを駐車しようとした時、車体が思い切り倒れ、自分の身体は地面に叩きつけられた。

ラーメン屋に並ぶ客、全員の視線が集まる。

その後のことはあんまり覚えていない。

肘と膝にできた擦り傷の他、手のひらもやけどしていたのは、触ってはいけない場所を掴んで車体を起こしたからだろう。

グローブはダサいから着けていなかった。

部屋に帰り、憂鬱な気分のまま翌日から新生活を迎えた。

……それから2年経った。

仕事には全然慣れていないどころか、ミスをすることが多く叱られてばかりだった。

モヤモヤした気持ちを抱えたまま帰宅すると、駐輪場に止めたエストレヤに張り紙がしてあった。

要約すると「ここはバイク置き場じゃない。邪魔だからどうにかしろ」ということが管理会社の名前とともに書かれていた。

それをみてさらにイライラが募った。

そうか、こんな時にバイクで飛ばせばスカッとするはずだ。

もう2年以上も触っていなかったバイクのシートには汚れがこべり付きかさかさになっていた。

部屋からキーを持ってきてエンジンをかけようとしたがうんともすんとも言わない。

よくわからないけれど壊れたらしい。

何度か試してバカらしくなりもうどうでも良い気持ちになった。

その後、仕事を辞め実家のある高知に帰った。

引越し屋が荷物を運び出す時にエストレヤを横目で見た。

車体は満遍なく汚れ、錆だらけで触ることすら嫌な気分だ。

どうして良いのか分からずそのまま置いてきた。

故郷へ向かう飛行機の中、東京であった出来事について思い出してみた。

「何かに真剣になったことってある? もっとこだわりを持とうよ」仕事に対する姿勢について上司から言われた言葉が浮かんだ。

そしてすぐにスマートフォンに目を落とし「上司 クソ」と検索した。


あれ、何の話だっけ。

まあ疲れてるのだろう。

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