〈証言〉「日本の感覚でオートバイを作っていたんじゃ、だめだ」ホンダCB750(K0)
本田宗一郎が語る「CB750をつくった意図」
CB750をつくった意図
「ホンダ社報」No.124「社長に31の質問」より復刻
本田宗一郎社長(当時)
「大きいのを作れ」アメリカホンダからの要望もあってつくられたCB750
1300CCや1400CCなどの大型車が走る21世紀の目でCB750を見ると、特段大きさは感じられない。ただ、1960年代の日本においては相当センセーショナルな存在だったことが想像できるだろう。
CB750の開発段階のエピソードとして、本田宗一郎が「こんなに大きいのを誰が乗るんだ」という旨の発言をしている、ということが世では語られている。
その真意については判りかねるが、実際に1960年代の日本国内においてCB750が最大級の車格だったことは言うまでもない。
当時の「ホンダ社報」には、本田宗一郎氏が海外を訪れた際の体験が記載されている。非常に興味深い内容なので記載する。
だいたい750は外部のほうから「作ってくれ」と製面があったが、ことにアメリカ人の進中が来たときも「作ってくれ、作ってくれ」と盛んにほくのところへハッパをかけに来たものだけれども、最初はあんなでかいものを作っていいのかなあ?とためらっていたんですよ。
ところが、ことしの6月にスイスへ行ったときに、ほくらは公園で遊んでいた。そうしたらお巡りさんが白バイに乗ってきて、ポコッと降りたんですよ。「なんだ、小さなオートバイに来ってきやがったなあ!これはお巡りさんにふさわしくねえな」と思って、日本のお巡りさんを細々しているから小さいなあと思っていたら、なんとこれがトライアンフの750ccなんだよ。
だから実際はでかいんだよ。
それが、どうして、そんなに小さく見えたかというと、お巡りさんがでかすぎるんだよ(笑)。
ちょうどおれがカプを扱っているぐらいにちょこちょこっと置きやがるんだよ(笑)。
「なるほど、これじゃ、日本の感覚でオートバイを作っていたんじゃ、だめだわいなあ!」
と思ったんですよ。
いやはや、どうもおれも認識不足だわいと思って(笑)この年になって、オートバイの専門家だなんていったって、これはだめだわいと思って考えたなあ!
日本にいると、ついそんな考えになっちゃうんですね。
アメリカ人が「大きいのを作れ、大きいのを作れ」と言うし、うちのアメホン(アメリカホンダ)なんかからも「大きいのを作れ」と言ってきても、なかなか腰が重くて上がらなかったのは、そういうふうな頭がおれにもうちの連中みんなに、あったんじゃないかなあ?向こうへ行ってびっくりしちゃったんだよ。
それで急に早く作れ、作れと、ハッパをかけたわけですよ。
そうしたら、この間、ホリディ・イン・ジャパンで来たアメリカ人なんか喜んじゃってね、乗って走って…これなら売れるなあと言ってね。
だから、世界は広いなあ!と思ったなあ! おれなんか、ずいぶん世界も歩いているし、自分でも、かなりいろいろな考え方もするなあと思ったけれども、まだまだこれじゃとてもじゃないけれども、と思ったりして…この年になって目が覚めるよ。世界は狭い、狭いといっても広いよ!
まあ、しかし安心してください。あれは売れるから…もうかりそうだから…・。
出典:本田技術研究所「ホンダ社報(1968年12月12日)」