カミの仕事、編集者を辞めてから思う「遺したい」きもち
出版社を退職し、「編集者」であることも辞めた僕。
でも、誰かに情報を届けたいという気持ちは変わらないまま。
あるいは、単に自己満足のためにやっているだけのような気もする。
だからこうして訳の分からないページを作っては、インターネットというあるような、ないような場所にテキストを放っている。
なんだかこれは行き場のない気持ちをしたためた手紙を瓶に入れ、海に流すようなものかもしれない。
誰が読むわけでもなくただ漂う。それでも良いと今なら思う。
スティーブン・キングはこう言った。
「作家は人の仕事で、編集は神の仕事だ」と。
なるほどと思うと同時に、紙と神を聞き間違えたのではないかと考えてしまうのはもう僕がオジサンだからだろうか。
それに、米国人が日本語を話すわけもないか。
僕は編集者だった。そう、過去形。
何の因果か、今はウェブマーケティングを生業にしている。
(その割にここが テキトーなサイトだと思われるかもしれないが、ここは僕にとってそんな仕事から離れられる場でもあるから、この脱力を気にしないで欲しい)
オートバイが好きで、それに関する本を編集したいと思った。
その時すでにインターネットは普及していたけれど、本に強いこだわりを持っていた。
20代前半で僕は若くてツヤツヤしていたと思う。
当時は燃えるような志もあって、ほとんどの出来事は乗り越えることが出来た。
今みたいに肩が凝ることもなければ、目の奥の痛みに悩まされることもなかった。
その出版社では学生時代に丁稚を1年、その後2年働いた。
毎日毎日、残業と休日出勤でクタクタだった。
編集室では上司から怒声を浴び、外に出れば取次店から新刊書の需要の無さを嘲笑われた。
ある日、僕が主担当として編集に携わるチャンスがやってきた。
作者はオートバイ界のエンスージアストとしては有名な方だったが、残念ながらその時すでに亡くなっていていた。
故人の息子さんから「押し入れから父の書き物が出てきたのですが……」と送られてきたことが始まりだった(原稿を受け取った時、僕はまだ入社していなかった)。
僕は20歳くらいから手当たり次第にオートバイの本を読み漁っていた。
だから、その原稿を書いた人物のことも当然知っている。
本の内容を書くといらぬトラブルになりかねないので省くけれど、各誌で連載を持っていた「筆まめ」で、戦中〜戦後のオートバイに関しては生き字引のような方だった。
連載では話がどんどん枝葉に分かれ、そのまま幹には戻ってこないような時もあるが、その「とわず語り的」な文体もまた良い。
さて、「編集は神の仕事」の話。
確かにそうかもしれないと思うのは、容易ではない作業の連続なのだから。
時に御用聞きに奔走し、時に印刷屋の尻を叩き、それよりはるかに多い回数、心臓に悪い出来事が起きる。
「期日までに何とかする」
一言で言えば、これが編集者の仕事だろう。
期日とは原稿の締め切り、発売日、納品日、色校正の戻し期限……とさまざまある。
ひとときも心が休まらない。
なぜか?
例えば、一連の編集作業が終わり(校了)したとして「今回も間に合った」という実感のすぐ後に、ありえない誤植やミスを思い浮かべるからだ。
そして、「この本が売れなかったら……」という不安も付きまとう。
紙に埋もれ、そんな日々の繰り返し。
だからこそ、編集者とは名実ともにかなり近視眼的な生き物なのだ。
僕をいまだに悩ませているのはこの思考回路。
つまり「やること」が目的になっているということ。
大切なのは「何のために」それをやるのかという視点であるが、悲しいかなそれは「走りながら考える」しかないのだ。
時間もなければ精神的な余裕もない。
自分がすり減っていくような感覚がはっきりし出す頃、校了を迎える。
その繰り返し。
その後、僕は別の版元で編集職として日々を送ることになるが、結局はこの円環の上をひたすらに走らされる。
オートバイが好きで、クルマが好きで、本が好きで、だからこそ、ある日この仕事が嫌になってしまった。
けれど、試乗と称して様々なオートバイ、四輪に乗ることが出来たことはとても良い経験になった。
それも一瞬乗せてもらうのではなく、2〜3日借りられるというのが職権というものか。
もちろん、返却時にはレポートを提出する必要があるわけだが。
それで今は、全然関係のない仕事をしている。
本とも、オートバイとも、車とも。
人生は何が起こるかわからんね。
そして、今やろうとしている事は、仕事としてではなく趣味としてオートバイにまつわるエピソードを編集するというもの。
あれだけ本にこだわっていたのに、今は一枚も紙は使わないで。
どこまでやれるかわからない。
ご飯が炊けたり、眠気に襲われたり、また子供が泣けば作業は中断される。
ただ、それでもやってみようと思う。
カミの仕事でなくとも構わない。