父と私と、カワサキW1の思い出
「W1なんかもう見たくもない。でも、手放すと寂しくて、次のWを探している」
結局、W1(ダブワン)にしか愛着を持てなかった父
管理人である私の父も、同じくバイク乗りでした。
そう、「でした」。バイクを降りたというわけではなく、(病によって)他界しましたので、過去形です。
今回はそんな父のことについて書いてみたいと思います。
父はオートバイが好きで、カワサキのW1系をはじめ、CB72、CB750(K4)、エルシノア、Ducati MHR900、SR500と、様々な車に乗っていましたが、“ダブワン”以外にはあまり愛着が持てなかったようで、購入しても程なくして手放していたことを憶えています。
ダブワンに関しては、W1S、W1SA、W3をあれこれと乗り換え、全部で6〜7台は乗ったと話していました。1980年代から90年代の話です。
飲食店を経営していた父の周りにはたくさんのダブワン乗りの客がいて、仲間内での車両交換などもよく行われていたと聞きます。
父がダブワンを気に入っていた最大の理由は「音(排気音)」だったようで、俗に言う「ダブワンサウンド」に魅了された一人でした。
その英才教育(?)を受けて育った筆者も、のちにダブワンに乗ることになるのですが……。
「何台かのダブワンでツーリングにいくでしょ? するとさ、前を走るやつ、横を走り抜けて行くやつ、トンネルで後ろから迫ってくるやつ、みんないい音に聴こえるんだよ。それで、自分のダブワンは全然音が出てないじゃんって思うわけ。そうするともう次の“いい音がするW”が欲しくなってくるんだよ。んで、“お前のWと俺のWを交換しよう”って話になるんだよね」
こう話していた父のことをよく思い出します。
これにはダブワンという乗り物自体に理由があります。
筆者も運転中は常に感じているのですが、実はこの「ダブワンサウンド」というもの、乗っている人はほとんど聴こえていないんですよね。
ダブワンを運転していると、Yカバー内に収まる様々なギアの発する「ヒューン」という音や「カタカタ」というタペット音など多くのメカノイズが聴こえるのみで、肝心の排気音はあまり聴くことができない。
「ユニークな形状のマフラー」から発せられるあの豪快な音は、マシンの後方や通り過ぎる時こそよく聴こえるのです。
ですので、「ダブワンサウンド」に惚れ込んで乗っているのに、本人はその音を堪能できないというジレンマがあります。
前述したツーリングのメンバーも皆が皆そう感じているという、一種の集団催眠のような状態だと考えられます。
こういった事情から、グループ内の車両交換が行われていたという……どうしようもないおじさんたちの集まりだったわけです。
そんなこともあり、筆者が幼い頃にはいつも我が家に何かしらのWがあったのです。
「とにかくあの音だよね。色んなオートバイを何台も乗ってみたけど、結局W1しか乗りたいと思わなかった」と父は話していました。
長い年月を経て、帰ってきたW1SA
1990年代の半ば頃だと思います。
ちょっとした出来事があり、父はW3を手放しました。
そして、その後は長い間我が家にW1がない状態が続いたのです。
筆者とその兄弟と、自分の子供が大きくなるにつれ、オートバイに乗る時間も減っていたことや、家庭の経済的な事情もあったのかもしれません。
2000年代はヤマハのSR500などが父の愛車として置かれていましたが、あまり乗ることはありませんでした。
その後、時が経ち筆者は社会人になり、仕事でオートバイの本を編集制作するようになりました。
様々なオートバイを乗り継ぎましたが、次は何に乗ろうかと考えていた時、父からダブワンの話を聞き、てんとう虫タンクの載ったW1SAを購入しました。
こうして久方ぶりに「我が家にWがある」状態がやってきました。
すると父もまたWに乗りたくなったのか、押し入れからアルバムを引っ張り出し、Wの古い写真を眺めることが増えました。
そしてある時、中古車サイトを見ていた父は「俺が乗っていた水色のSAが売りに出ている」と言うのです。
「そんなまさか」と思いましたが、掲載されている画像と古い写真を見比べると、確かに共通点が多い。
例えば、父が業者に出してメッキを施したサイドカバーとオイルタンク、ヘッドライトステー、Yカバー、プライマリーケースがそのまま取り付いていました。
※オイルタンクのエンブレムは間違ってサイドカバー用(車体左側/ノブを避ける切り欠きがある)の物がついており、それも古い写真と合っている…。
また「握りやすいから」と付け替えた原付用のハンドルグリップに英国車風のミラーなどが共通していました。
極め付けはその車体のフレームでした。
父の乗っていたダブワンは、W1SAの中でも最初期のものだったためか(あるいは考えづらいがW1SのフレームにW1SAの機関と足回りが付け替えられていたのか)、フレーム側部にキーシリンダーの取り付けブラケットがあった。
居ても立っても居られなくなった父は、群馬までその車両を見に行き、そこでその他にも過去の自分が施したイタズラの数々を思い出したそうです。
そして「間違いない。俺のWだ」と判断し、その場で購入してきました。
父は自分の「ダブワンサウンド」を聴いただろうか
W1と再会を果たした父も還暦を過ぎ、70歳が目前でした。
「これで最後のWにする」と、これまでに何度言ったか分からないことを言いましたが、実際にこのW1SAが父にとって最後のダブワンとなりました。
父の他界後は筆者の兄がこのSAを引き継ぎ、2023年の現在も豪快な音を立てて走っています。
自分で乗っていては聴こえない「ダブワンサウンド」。
兄が乗ることで、父はどこかで自分のWの音を聴くことができたでしょうか。
「ある時、W1なんかもう見たくもないと思う時があって、何度も手放したよ。でもWが傍にないと寂しくて、気づくと次の1台を探しているんだよ。不思議なんだよね。でも、ダブワンってそんなオートバイだった」
そんなことを、父が繰り返し言っていたことを思い出します。
ダブワンは個性的過ぎるオートバイ。W1に乗るようになって、父のそんな言葉の意味がわかるようになっている気がします。