W3白タンク、30年ぶりのおかえりなさい

「おかえりなさい」と言えることは、幸せなことなのかもしれない。

写真は父が乗っていたW3。撮ったのは1980年代だと思われる。

タンクの塗装はもちろん純正ではない。

W3初期型のパターンで、本来なら黄色だったり水色だったりする部分を白く塗ったものだ。

父によればどこかの業者に出して塗装したらしい。

そして、タンク下部にはサインが入っている。

ちょうど右側のガソリンコックの上に、これまた白いペンで、父の名前が英語で小さく書かれているのだ。

それを書いたのは塗装屋ではなく、その昔、父の店でアルバイトをしていた、Fというニイチャン。

Fちゃんは手先が器用で、特にレタリングが得意だった。

絵も上手くて、幾何学模様が描かれたスケッチブックを、僕も幼い頃に見せてもらった記憶がある。

父はすごいすごいと褒め、「この才能で食べていけるのに」とFチャンに言っていた。

だが、Fチャンは謙遜するだけだった。

飽きっぽい父は、程なくしてこの白タンクの付いたW3を売ってしまい、違うWを手に入れたと言っていた。

ちょうど、父がW1を取っ替え引っ替えやっていた頃で、その辺りの話は過去に記事でも書いた。

それから30年以上経ったある日、僕と父はこの白タンクに再会したのだ。

父の本名なので名前の文字は一部塗り潰しています

そう、ヤフーオークションで。

父の白タンクの過去を知らない僕は「面白いタンクが出品されてるよ」と見せた。

すると父は「俺もやったよ。タンク白に塗ってさ。おんなじこと考えるヤツがいるんだなあ」と言っていた。

すると、何かを思い出したように父は古いアルバムを持ってきて、そこから(この記事の冒頭に載せた)一枚の写真を出し、「もしかしてこれ、これは俺のタンクかもしれない」と言う。

「そんなまさか」と受けながら、虫眼鏡を使って古い写真と見比べると、確かにこのタンクは父のW3に着いていたものだった。

父とW3

カラーリングが同じようなものは他にもあるとして、出品されているタンクには前述した「父の名前」が書かれているのだ。

こんな偶然があるのか、と僕は思った。

出品写真を見れば、30数年の時を経て、タンクはかなり草臥れて、錆と穴だらけだ。

タンクマウントのボルトが入る孔の周辺は、ロウ付けで修繕した跡が痛々しかった(ちなみに、タンクのヘソボルトは締め込みすぎるとタンクが割れる)。

もう使用は出来なさそうなこのタンク、普通の人からしたらガラクタというよりゴミなわけだが、僕らにとっては思い出のかけらのようなものだった。

結局、僕はこれを落札した。

確か2,000円くらいだった記憶がある。


1980年代から90年代にかけて、Fちゃんは10年以上も父の店で働いていた。

働き始めた頃は定時制の高校に通う学生。

Fちゃんは、当時小さかった僕ら兄弟の面倒見もよく見てくれてた。

僕の宿題に付き合ってくれたり、一緒にお昼を食べてくれたり。

真面目な性格で、オートバイ好きの青年。これは私の父の影響らしく、CL72やSR400等に乗っていた。

父とも仲がよく、深夜のドライブやツーリングにも出かけたりしていた。

ただ、あまり良い家庭環境(母子家庭だった)で育って来なかったせいか、高校は中退してしまったし、ひどい過食癖があった。

ある時の仕事終わり、父はFチャンがひとりで住むアパートに行った。

すると、パーティ用のバレルに入ったケンタッキーフライドチキンをコーラで流し込みながら「よかったら店長も食べてください」と勧めてきたそうだ。

父が心配して聞くと、毎日のようにこんな食生活だという。

また、彼のお母さんは長いこと競艇に狂っていて、そのほかにも、ありがちな話だが他所で男と女の事情もあったようで、もう長いことアパートには帰っていないらしかった。

生い立ちなどについて聞くと、Fちゃんは話したくないといった素振りを見せ、父もそれ以上は追求しなかったという。

そして、Fちゃんは20代前半で糖尿病を患うことになり、今度は壮絶な拒食がはじまると、激的に細くなったりした。

そのまま20代も後半に差し掛かったころ、父はそんな彼の人生を考えるようになった。

「飲食の道に進みたいなら、もっと本格的で大きな店で修行してみる?」ということを提案したという。

Fちゃんはその道に進むことを決意したようで、父の口利きで江東区にある店に行った。

そこは若き日の父が修行した店でもあった。


その後、Fちゃんは行方不明になった。

細かい話をすると、修行先の店主からちょこちょこと、その少し不穏な様子について父に報告があったようだが、ある時から店にも来ず、連絡が取れなくなってしまった。

彼は元々住んでいたアパートも引き払っていたし、携帯電話なんてものがまだ一般的ではなかった時代だったから、父も連絡の取りようがない。

あれだけ毎日会って、ニコニコしていたFちゃんが、突如としていなくなってしまった。

父は方々にあたり、自分の足でFちゃんを探すも、結局見つけたすことが出来なかった。

彼としても、父が掛け合ってくれた話を反故にしてしまったことに引け目を感じていて、父に合わせる顔がなかったのかもしれない。

父は色んな人に「もしFちゃんに会ったら、いつでも帰ってこいって、伝えて欲しい」と話していた。

あの時、Fちゃんを送り出したことを、生前父はずっと悔やんでいたように思う。


その後、落札した件の白いW3タンクが我が家に届いた。

タンクの下部には、若き日のFちゃんが書いた父の名前が、そこにあった。

その出来は、どう見ても機械によるプリントにしか見えないほど素晴らしいもの。

父は自分の名前を撫でながら「不器用な奴だったよなあ」と、小さく呟いた。

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