禁煙中に考える「最高の一服」のこと
さて、どうしたものか。
何度か目かの禁煙に成功してしまった。
最後に「自分で買った」タバコを吸ってから今日で31日。
まあ、二週間前に旧友との飲み会で紙巻きタバコを2、3本吸った。
その後、また強烈な離脱症状や喫煙欲が再燃するかと思いきや、そんなこともなかったようだ。
禁煙の理由に大したものはない。
強いて言うなら金だろうか。
1日1箱以上、600円程度。これを1年続けると、22万円くらいになる。
年収を22万円上げることは大変だ。
また、子供や家のために積み立てている金額だってこんな高額じゃ無い。
その上、最近は軽だけど新車も購入した(イマドキの軽は高いのだ…)。
それから、「あのお金を切り詰めて」「◯◯は解約して」など、細々してことを考えていた。
そしてたどり着いたのが「タバコを吸うことがバカらしくなった」という感覚だった。
いや、本当はすごくタバコが好きだ。
(実際は何度か禁煙しているものの)何も長続きのしなかった僕という人物が、唯一20年近くも継続できたのが「喫煙」なのだ。
それくらい、タバコとの付き合いは長く大切な時間である。
禁煙して31日。
分かっていること。それは、ここまで来ればもう、あの強烈な喫煙欲は襲ってこない。
「タバコだ。タバコを吸わせてくれ」と、脳がそれ一色になることも無いはず。
でもここ数日で思うことは「海を見ながらタバコが吸いたい」という特殊な欲望だ。
先日、家族旅行で伊豆まで出掛けた。
その際、海を見ながら思ったことは「ここ(防波堤・砂浜)に腰掛けてタバコを吸ったら、絶対に、絶対に素晴らしいだろうな」ということ。
それからといもの、タバコを吸いたいという気持ちはまるで無いのだが、「海辺でタバコを吸いたい」という気持ちは、時折り湧いてくる。
タバコなんてくだらない。
でも、くだらないからこそ楽しいし、素晴らしい。
今僕が計画していることを記そう。
金曜日の夜に大学の旧友のH氏を呼び出す。
H氏は大学卒業後、就職を機に地元へ帰っていた。
しかし、最近東京へ「戻って」きており、僕との交友関係が復活した。
彼には妻子がいて、知っている限りもう何年もタバコを吸っていないが、大学時代は常にセブンスターを咥えているほどの愛煙家だった。
(ただ、ここ10年くらいでも何年かに一回、上京すると、僕のタバコを吸ったりもしていた。)
僕らは二人とも読書が趣味だったので「筒井康隆の『最後の喫煙者』あれ最高だよな。俺は人類が滅ぶその時までタバコを吸い続けるぜ」なんて、バカ丸出しの会話をしていた。
計画だ。そう、その彼を誘って、葛西あたりの浜辺までドライブする。
9月末の夜、海辺の風は爽やかだろう。
遠くにディズニーランドの建造物の光が浮かび上がり、満遍のない穏やかな波が寄せている。
キャンプ用の簡易的な椅子、背もたれのあるやつを組み立て、缶コーヒーを飲む。
僕はおもむろに未開封のタバコを取り出し「吸う?」と聞いてみる。
別にH氏が吸わなくたって構わない。
僕はタバコに火を付け、その臭いや煙に少し驚く。
「臭くて・煙たい」という感触は一瞬のうち。
波音を聴きながら奥行きが曖昧な暗い空を見上げ、煙を深く吸い込む頃には、それが懐かしさと結びつきながら全身に行き渡る。
こんな風にタバコを吸えたら、きっと美味しいんだろうな。
H氏、君はどう思う。