17歳。KとXJR400の思い出
Kとは今も友達だと思っているし、これからも友達でいたいと思う。
疎遠な期間が長かったとはいえ、高校の学友だから、かれこれ15年以上の付き合いなのだ。
17歳の夏、僕とKを繋いでいたのはオートバイだった。
僕はゼファー400、KはXJR400Rに乗り、2人と2台でよく出かけたことは、僕にとって大切な思い出だ。
だから今朝、Kから「金を借してほしい」と連絡が来たことは、僕をとても悲しい気持ちにさせた。
Kとは高校2年で同じクラスになった。
思えばあの時から不器用な生き方をしていた奴だったと思う。
それまであまり話したことのない僕らだったが、「自動二輪免許を取った」という共通点が、僕らの距離をぐっと近づけた。
僕はオンボロのゼファーを買い、KはそれよりいくらかマシなXJRを手に入れた。
免許の費用もマシンのお金も、アルバイトで稼いだということも共通点だった。
放課後のアルバイトを終えると、僕らは待ち合わせて走りに出かけた。
2人ともまだ道に詳しくなかったから、ひたすら環七や環八、R254などの「道」をただ真っ直ぐ走るようなツーリングが多かった気がする。
それでも当時の僕らにとってはものすごく楽しい時間だった。
走りに行けば帰りは深夜か明け方。
そこら辺をチャリンコでウロチョロしていれば警察官に補導されるような時間帯であっても、オートバイに乗っていればそれもなかった。
そう。ハイティーンの男子にとって「ヨンヒャク」は最強のアイテムだった。
夜中、アクセルを開けて喧しい音を立てて走る。
時速100kmで身体にぶつかる風や、流れて行く景色、想像できなかった非日常を、オートバイが連れてきた。
そして、適当な場所でオートバイを止めると、訳もなく2人で大笑い。
「すごかった」
「楽しかった」
「びっくりした」
「怖かった」
エンジンを切るとそんな感情が渦巻いて、僕は少し震えながら笑った。
「同級生の誰にも出来ないこと」を自分がしでかしているような気がした。
あの時、腹を抱えて笑っていたKも、きっと同じ気持ちだったんだと思う。
僕はKと走る夜の東京が好きだった。
葛西の浜で海を見て、灯りの消えた東京タワーを下から眺めて、ビンボーブリッジを渡る。
「きっと、1人だったらここまで走っては来られなかっただろう」と、何度も思った。
その後、Kは登校不足と成績不良で退学となり、同じ高校の3年生にはなれなかった。
僕はギリギリながらもそのまま3年生になったので、Kとはそこから次第に会わなくなってしまった
Kは通信制の高校へ編入し、その後に予備校へ通うためにXJRを売ったという。
僕も受験が始まり、ゼファーは壊れ、近所のバイク屋に無料で引き取られた。
そんな風にして僕とK、ゼファーとXJRは、別々の道を走ることになる。
それから15年以上の時が経ち、最近までは連絡先もわからなかった。
今から数年前、共通の友人との世間話の中で、Kがハウスクリーニングの仕事をしていると聞いた。
ウェブで調べてみると確かにそんなページがヒットした。
僕はアパートのエアコン掃除をKに頼むことにし、連絡を取ってみる。
「おお、久しぶりじゃん!」と、Kの少し鼻にかかった懐かしい声を聞いた。
僕の部屋にやってきて、エアコンの掃除が終わってから久しぶりに話をした。
Kは結婚して夫となり、小学生男子の父になっていた。
ハウスクリーニングの仕事は副業で、本業はサラリーマンをしているという。
平日は会社で遅くまで働き、土日は副業で汗を流す。
「なぜそんなに頑張るのか」と聞くと、理由はふたつ。
一つは本業の収入が少ないこと。もう一つは家庭のためだという。
「そのうち副業を本業にしていきたい」そんな風に笑った。
それから数年が経ち、Kはハウスクリーニングで独立した。
僕とKは時たま長電話をしたり、夜にラーメンを食べに行くような仲に戻っていた。
仕事のこと、家庭のこと、欲しいオートバイのこと。
半帽を被ってコーラを飲んでいた、あの時と違う話題と、同じ話。
変わらない楽しさを感じながら、僕とKは「いつかまたツーリングに行こう」と話した。
そして今朝、Kから「ハウスクリーニングの仕事は廃業し、サラリーマンに戻った」という旨のメッセージが届いた。
そして、家庭環境にもひびが入っていることなども聞いた。
月末に会う約束をして、やりとりが終わろうとした頃Kから金の無心があった。
次の給料日まで所持金が持たなそうなので、数万円貸して欲しいとのことだ。
返事を出せないまま、昼休み。
僕はチェーンの喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、起こっている出来事について逡巡した。
解答や結論を出そうとしたが、結局貸すことにした。
返ってくることなんか期待していない。
そして、月末に会う約束も、僕は果たさないだろう。
K。高校時代、あの頃の不器用な彼を思い出した。
Kの生き方は、何も選ばなかった結果、悪い結末にたどり着いているわけではない。
自分で選択したものたちが、悉く「ツイてない」ものを連れてくる、そんな感じなのだ。
ただ、Kは自分の置かれた状況に文句を垂れたり、必要以上に嘆いたりしない。
僕はこれからもKの友達でいたい。
けれど、大人になった僕がその全てを肯定しない。
だから、Kには頑張って生きてほしいと、ただそれだけを思うことにしている。