通りを過ぎて
ずいぶん前から構想だけはあった。
朝早くに起きて、明け方にオートバイで走るという構想だ。
こうでもしなければ自分の遊び時間なんて作れそうになかった。
金曜日の夜が近づくにつれ、この想いは強くなる。しかし結局、土曜の朝は8時に目が覚め、遊びのチャンスは疲れとともにいつも通り過ぎてしまっている。
それが実現したのはついこの前。
長いこと考えているだけで動かなかったものだから、その間にダブワンの車検は切れた。
だから僕は青紫色のスーパーカブ110に乗るのだ。
その日、僕は寝苦しさから午前3時に起きてしまった。
煙草を吸いながら寝ぼけた頭を揺すって、もう一度布団に入るか、ヘルメットを被るかで悩んだ。
僕の背中を押したのは、前日の夕方に交換したエンジンオイルだった。
いずれにしても外が明るくなってからが良いだろうと、そのまま本を読んで過ごした。
午前4時30分を回る頃、窓の外が白みはじめる。
僕は音を立てないように玄関から出て、車庫からスーパーカブを引き出した。
お盆の最中だというのに暑さは感じない。
夜中まで漂っていた、あのまとわりつくような湿気もあまり感じない。
大きめな通りまでスーパーカブを押し歩き、エンジンをかける。
暖気運転などほぼ行わずにギアを一速に入れると、ポクポクという気の抜けた排気音。
エンジン始動はセルモーターが確実に行い、アイドリングはインジェクションシステムが正確に行う。
ダブワンと違い、どこまでも気楽な乗り物だ。
どこをどう走るか、ということについては午前4時頃にほとんど決まっていた。
自分で言うのも何だが、とてもくだらないコースといえた。
明け方のこの時間にスーパーカブ110で巡航するには、片側3車線級の道路は厳しいのだ。
今は全く連絡を取らなくなってしまったが、学生の頃よく遊んだ江古田にある旧友の家の前を通る。
帰りしな、どこかで缶コーヒーを飲み、帰る。
ただこれだけだ。
走り出して感じたのは「朝の顔」たち。
朝刊を脇に挟みてくてくと歩く爺さん。
老犬を散歩させる婆さん。
どこかへ遠出するのか、ワンボックスにキャンプ道具のような大荷物を積み込むパパ。
そんな朝の姿だった。
そして何より、走ることが気持ちいいのだ。
長袖のシャツ一枚にちょうど良いさわやかな気温。
道路は空いていて、車の背中を見ずに走れるという都内では珍しい体験。
思ったより3倍近く早い時間で旧友の家の近くまで来た。
一昔前、SR400で何度も通っていたこの場所だが、数年ぶりに見た景色は変わっていた。
目白通り沿いにあったお化けの出そうなラブホテルは解体され、道路拡大の計画地になっている土地は軒並み空き家になっていた。
ここへ来たからといって何もしない。ただ通り過ぎるだけだ。
旧友の家はそのままあった。
今となっては旧型となってしまった親父さんの日産ノートと、友人の自転車もそのままだった。
ただ、玄関の前、塀との間には何やら粗大ゴミのような物が積まれていた。
それも昨日今日に置かれたという感じではなかった。
少し寂しくなったのは、その友人について何の噂も聞かないからだ。
この中でまだ寝ているのか、それともどこか違う場所へ行き、新しい家族と眠っているのか。
後者であれば嬉しいけれど。
思い出すのは、その友人とよくオートバイで出かけたこと。
といっても、友人は2輪も4輪も免許を持っていないからタンデムで走った。
ほとんど週末をそいつと過ごしていたように思う。
深夜の東京湾景を見に行き、出来てそう時間の経っていない東京ゲートブリッジを往復し、その度に大声で何かを叫んだ。
またある時は、秩父まで温泉に浸かりへ行き、そして色んなものを食べた。
会うたびにちょこちょこと改造が施される僕のオートバイを見ながら「え?どこが変わったんだよ」とよく言われた。
そのたびに僕も「ほら、ここの部品が変わっただろうが」と返した。
オートバイに興味がなかった友人。でも、オートバイのことは好きだった。
そんな遊びが4〜5年続いたあと、これといった理由もなく会うことはなくなった。
お互いの仕事が忙しかったのか、それとも我々の間に諍いのようなものがあったのか。
どちらでもないような気がする。
「ただなんとなく僕たちは大人になるんだ」という歌があるように、通り過ぎてしまっただけ。
僕は友人の家の前を通り過ぎ、そのまま千川通りに出て、目に入ったダイドーの自動販売機で缶コーヒーを買う。
ガードレールに腰掛け、「ダサいよなあ」と思いつつ電子タバコを吸った。
自宅を出る時に感じたあの清々しさは身を潜めはじめ、温度と湿度が交々としている。
車と歩行者も増え、こうして1日が始まって。
「朝の顔」たちも、どんどん見慣れた顔の人々と入れ替わっていた。